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日本かわうそとは

担当 : 元気創造課 / 掲載日 : 2015/02/25

ニホンカワウソ

ニホンカワウソの生態・歴史

学名は Lutura 英語名は Otter 

 カワウソは食肉目イタチ科、カワウソ亜科に属し、日本に生息するものはニホンカワウソとされています。 アジア・ユーラシア・アフリカ・南北及び中央アメリカに12種のカワウソが広く分布しています。

特徴

 体系は頭が扁平で、長い尾と短い足を持ち、体は潜水するため細長い。足には水かきがあり尾は泳ぐときの櫓の役目を果たします。

食性

 ウナギ・アユなど魚介類のほかエビ・カニなども食します。大きな魚は骨、頭、尾を残します。 大食漢で1日1キロほどの魚をたいらげると言われています。

生態

 もっぱら夜行性で、昼間は真水の流れる場所に「ねぐら」、「やすみ場」をつくって休息します。 夜間は採餌のため川・沼池・海を行動し、魚類を捕食します。行動中の糞は、サインポストとして川原や海岸の石や岩の上に少量残します。 行動の範囲は広く数10キロに及び、行動範囲内に「ねぐら」「やすみ場」をつくります。巣穴はこれとは別で、 自然の岩穴や木・竹・しだの根の下などを掘ってつくります。10〜11月ごろ発情し、約2カ月で1〜2頭を出産しますが、 3頭の場合も確認されています。遊び好きな賢い動物で、岸辺で滑り台遊びをしたり、貝を拾ってきて石の上に並べたりします。 泳ぎは達者ですが、生まれたときから泳げるわけではなく、親が子に泳ぎ方を教えます。かつては北海道から九州の全域に生息し、 明治の中ごろまでは東京の荒川あたりでも目撃されたそうです。   

歴史

 かつては本州・四国・九州に広く分布していたらしく、骨の一部が各地の遺跡から出土しています。 日本の近代化とともに河川環境が悪化し、また毛皮をとる目的で捕獲され、次第に生息域を追われていったと考えられています。
 1880年代には東京にも生息していたそうです。大正年間には年に1000頭以上の捕獲記録があります。 その後、乱獲と河川環境の変化により各地で次々に絶滅し、1930年ごろには兵庫・和歌山・京都・長野などに少数が分布するに過ぎない状態となり、 まもなく消息を絶ちました。
 1947年に香川県の海上で3頭が捕獲され、四国で生存が確認されましたが、瀬戸内では1964年頃、愛媛の宇和海では1973年ごろを境に姿を消しました。現在、生息は未確認です。

須崎市におけるカワウソの歴史

 須崎市で1974年7月25日、上分公民館そばの新荘川で1頭の見慣れぬ動物が発見され、それが、特別天然記念物であるニホンカワウソと確認されました。 ほとんど絶滅状態で幻の動物といわれていただけに、このニュースは日本中をかけめぐり全国的な話題となりました。 また、翌1975年には大阪セメント須崎工場の食堂に侵入したのが発見され、1979年には、新荘川や依包川、押岡川などで4月から9月頃にかけてしきりに出現し、 テレビ局や新聞社、地元の人のカメラなどがその姿を捕らえ、数多くの記録が残りました。 このような中で、新荘川流域住民が地域ぐるみでカワウソを守り育てようと「新荘川の自然とカワウソを守る会」を発足させ、 市議会においてもニホンカワウソの保護問題について「早急に対策を打ち出すように」との環境庁への意見が採択されました。 また、県・市など関係者が集まり「カワウソ保護対策会議」が開催され、河川の土木工事での環境への配慮、パンフレットの配布、 たて看板の設置、カワウソの餌の確保など多くの保護対策が提案されました。


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元気創造課 元気創造係

〒785-8601 高知県須崎市山手町1番7号
Tel:0889-42-3951  Fax:0889-42-7320

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